豪巧


正直、『あ、やばいな。』と思った。



アイデンティティクライシス




グッと右腕をつかまれる。
強く振り払いたい衝動に駆られた。
でも、真っ直ぐ俺の眼を見つめてくる豪の瞳に捕らえられると、俺は凍ったように固まってしまった。
豪の眼には一分の曇りも迷いも怯みさえもなかった。
只、ただ、真剣だった。
俺はその豪が押し出す空気に完全に呑まれてしまっていた。
眼が逸らせない。
強く絡んでくる視線から逃れる事が出来ずにいる。
言葉が出てこない。

「どうしたんだよ、豪。」

その一言が。
その一言さえ言ってしまえば、この張り詰めた空気は一瞬にして壊れ、豪はいつものようにのんきに軽口をたたくだろう。
しかし、いつもと違う有無を言わせぬ強い瞳が言葉を発する一切を頑なに拒絶していた。
こんな豪は始めてみた。
いつもと様子の違う豪に俺は柄にもなく少し戸惑っていた。
すると、豪のでかい手に握られた右腕がさらに強く握られる。
眼を逸らせないから見えはしないが、見えない為に余計に意識が集中して、体中の血が右腕に集まったみたいにそこが燃えるように熱い。
段々豪は力を入れるから右腕も段々と熱くなる。
握り潰されそうになり流石に少しづつ顔が引きつり眉根が寄る。



その瞬間視界が真っ暗になって、焦点が合わなくなった。
何か唇にやわらかい感触がした。
生暖かい、やわらかい感触が考える事を停止させる。
ショートしたみたいに俺の脳は動けなくなった。
何が、今、何が起きている。
豪はまだ俺の右腕を強く握り締めている。
そこだけが変に燃えるように熱い。
ゆっくりと、唇から生暖かさが、やわらかいものが、離れていく。
それと同時に視界の明るさが戻ってくる。
豪の顔が段々と俺の前にみえる。
さっきまであんなに強かった瞳は、弱々しく下を向いたままこっちをみようとしない。
俺は段々目の奥が熱くなるのが解った。
あつい。と感じた瞬間すーっと一筋瞳から流れ落ちた。
俺の頭がまだ動かないうちに感情だけが先に動いてしまっている。
やっとわかった。
俺はぼろぼろ涙をこぼしていた。
すると、下を向いていた豪は床にぽたりと涙が落ちると弾かれたように顔を上げた。
一瞬驚いた顔になり、そのあと困ったような情けない顔になった。

「ご・・・ごめん。 巧。 」

あまりにまぬけな豪の声に俺は笑ってしまった。
瞳からは涙がこぼれるのに、何だかおかしくて、笑いが止まらない。
豪がいつもの豪に戻ったような気がして、少し、ホッとした。

「・・・・笑うなよ。」

真っ赤な顔でむくれている豪はやっぱりいつもの豪で。
俺はそのことに、なんだかすごく、すごく、安心、していた。










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なんだかんだで感情がついていかないのは二人とも。
というおはなし。
豪の方が少しだけオトナ。
かもしれない。

white.2005.11.13